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2007年6月

2007年6月23日 (土)

山中智恵子&「おくすり短歌」5月

『短歌研究』の連載「馬場あき子と読む鴨長明『無名抄』」を(とりあえず勉強になりそうなので)しぶしぶ読んでいたら、このごろけっこう面白くなってきて地味に心待ちにしている。女性歌人ばかりの座談会でいつも話が長明から意外なところに飛ぶところが、わたし的にはツボ。今月号は山中智恵子に飛んだから更にわくわくした。

 さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生まれて
 山中智恵子

 栗木京子さん「この歌は敗戦で亡くなった人の魂のことを踏まえているとご本人が語っていました。」(「短歌研究」7月号)

うわ、すごいことを聞いたと思った。なんと深い歌なんだろう。歌をつくるときの心はやはり痛いのだ。それに耐えた分だけ大きな結晶ができる。

山中智恵子全集上巻、来週あたり届く予定。たのしみ。

以下、先月の「おくすり短歌」でございます。今月は本日掲載。九州・山口・島根の方、毎日新聞朝刊に載っていますのでよろしくおねがいします。

ぼくが撃つから死んで、グリルの塩鮭が焼けたら生きかえってね母さん

 息子はもうすぐ3歳になる。最近はテレビのヒーローに夢中だ。先日100円均一のお店に行って「ひとつだけおもちゃを買ってあげるよ。(どれでも百円だからね~)」と言うと、息子はおもちゃの鉄砲をもってきた。引き金を引くと音がでるタイプ。「これで変身するの。」と得意そうな息子に「ママはバンバン(銃)が怖いから、他のものにしようよ。」と頼んだ。がっかりする息子に風船セットを持たせてレジへ。
数年前、友人の子に言われた言葉を思い出す。「ぼくがおばちゃんを撃つから、死んでね。」5歳くらいの男の子だった。音の出る立派なおもちゃの銃を向けられた。「死んでね。」なんて言われたのははじめてだったから驚いた。おもちゃだから、遊びだから、死んでもすぐに生きかえる。よく考えると不気味な遊びだ。子どもに悪気がないから余計にそう感じる。
銃を持つ人、撃たれて死ぬ人、その映像はすでに日常になりつつある。テレビドラマだけではなくニュースでも毎日のように銃声が流れる。それを眺めながら育つ子ども達。家族と朝食のトーストを食べながら、「このおじさん死んじゃったの?」と息子が聞いてくる。「そうだよ、死んじゃったんだよ。」先日長崎でおきた事件、そして愛知でおきた事件。三歳の子どもに彼らの死をどう説明すればいいのだろうか。
子ども達が通っている保育園で今月から『ノーテレビデー』のチャレンジがはじまる。毎月一日だけ、テレビを視聴しない日をつくろうという試み。驚いたことにある統計によると、日本の子どもは世界一テレビの視聴時間が長いそうだ。
いい機会だ。朝夕の忙しい時つい子守り代わりに使ってしまうテレビを一日だけ消してみよう。そしてテレビとのお付き合いについてゆっくり考えてみようと思う。

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