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2006年5月

2006年5月30日 (火)

プール熱

息子がプール熱(アデノウイルス感染症)にかかって5日目。

今日の昼まで40度近い高熱が続いたのですが、今はかってみたら38.1度までさがりました。

食欲もでてきて、おかゆとかお味噌汁とかたべてます。よかったよかった。

くいしんぼうの息子がバナナどころかゼリーも食べようとしないのでほんと心配しました。

うまれてはじめてじゃないかな、息子が病気でものが食べられなくなったのは。

プール熱、この夏大流行するらしいですね。

けっこう大変な病気です。みなさん気をつけてね(といっても、うつるから仕方がない)

あとは娘にうつっていないことを祈るばかり。

土曜日は未来の福岡歌会。3か月ぶりに参加する予定なので楽しみにしているのですが・・・。

なんだか嫌な予感。

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2006年5月29日 (月)

かえる

あめの日にむすめは保育園で蛙になるらしい。

家庭訪問でむすめの先生が教えてくれた。

「あーちゃんはお外でははしっこのほうで砂遊びなんかをして静かに遊んでいるのに、教室で突然かえるになったからびっくりしましたよ。四つんばいになって「げろっ、げろっ」って鳴きながら跳ねるんです。もう、男の子達が面白がって、みんなかえるになって追いかけていましたよ(笑)」

うーん、この気まぐれなかんじ、誰かに似ているような・・・。

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2006年5月28日 (日)

さっちゃんがすきなもの??

3歳のむすめ、今日も早起き。

朝6時半から「おかーさん、おきてー。あさだよー。」とうるさい。

てきとうにあしらっていたら、うたいはじめた(耳元で大声で!だれがそんなことを教えたの!?)

 さっちゃんはねー♪

 たっけのこだいすき

 ほんとだよ

ん!?

 たっけのこだいすき♪

「おいっ、たけのこかいっ!?」(母、爆)

ということでさわやかに目覚めました。しかしたけのこだいすきって、さっちゃんしぶいな。。

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2006年5月27日 (土)

おくすり短歌・5月

今日は土曜日。

今月から毎日新聞(九州・島根版)で連載している「あゆみママのおくすり短歌」は第4土曜日掲載になりました。

九州にお住まいのみなさま、毎日新聞を買って読んでくださいね。(駅にもコンビニにもあります!)

今月は「自分らしく生きるって?」というタイトルがついています。(いえ、自分でつけました)

わたしは自分らしく生きたくて短歌に打ち込んでいます。でも「自分らしい」の中には母親である自分や妻である自分も当然含まれているのですよね。

と、いうことで、あれもこれも大切にして、欲張りに生きていきます。(ときどき手抜きしながら・・・)

息子が今週はじめからずっと熱を出したり、気管支炎になったりしていたのですが、きのうついに高熱を出し、病院にいったら今回は「アデノウイルス感染症」という病気でした。(「お母さん、これで最後だからがんばって!」と先生に励まされてしまいました・・・)

これから5日間高熱が続くそうで、かわいそう。息子、もうへろへろになっています。

しかも息子は次から次に病気をもらってくるのに、娘はすっごく元気。今日も保育園で暴れていることでしょう。

(今朝、「あーちゃんね、ほいくえんでね、あばれるのー!」と言っていた・・・どうぞご自由に。。)

わたしも看病疲れでへろへろです。今日はのんびりいたします。

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現代歌人協会賞

今年の現代歌人協会賞、松木秀さんが受賞されたとのこと。

松木さん、おめでとうございます!!


http://homepage2.nifty.com/gendaikajinkyokai/sakusaku/2_1.htm

受賞歌集『5メートルほどの果てしなさ』から私がすきな歌。

(たくさん付箋がついているのだけど、10首選びました)


うらうらと凡庸に降る春の雨 誰か普通の人いませんか       松木秀    

狂気ではない 丁寧に流される言葉はどれも馬鹿げた正気

明日という言葉は意味を持ちすぎて持たされすぎて今日の寂しさ

欲望の制御装置として遠き過去に発明されたる『あの世』

うたかたに消えてこそ人いつまでも消えぬ泡など洗剤の泡

はっきりと宇宙なんかを知りたがる人も沢山いて朝六時

少年よ無邪気にわらえ明日には消えるすこしの不思議のために

平仮名のへいそくかんに包まれて十二月十二日、寒いよ

ふんわりと心のゆらぐ四月にはわたしは夢を見てはいけない

ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店


(松木秀『5メートルほどの果てしなさ』より)

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2006年5月22日 (月)

日曜日の新聞で

日曜日の毎日新聞九州版の人気コラム「糸でんわ」で、エッセイ「あゆみママのおくすり短歌」の紹介をしていただきました。

たいへん大きくとりあげていただいて、びっくりしています。

(加藤編集局長さん、上東さん、本当にありがとうございました(涙))

がんばらなきゃなあ。

未来5月号掲載歌は短歌倉庫「月歩あるふぁ」にアップしました。

http://geppo.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_c900.html


今月は治郎先生がこんな歌を詠んでいらっしゃいました。本当にすごい方です。


まさこさままさこさままさこさままさこさままさこさままさこさままさこさま

加藤治郎 (「未来」5月号)

(下から読んでもまさこさま。)



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2006年5月18日 (木)

紙ピアノという歌集のこと

紙ピアノ



『紙ピアノ』 伊津野重美(短歌)・岡田敦(写真)/風媒社


未来彗星集の先輩のブログを見て、歌集・『紙ピアノ』を読んだ。

45分車検の待ち時間に気軽に読み始めたのだが、すぐに後悔した。

・・・なんでよりによってこの本を、このざわついた場所で読んでいるのだろう。

しかしぐいぐい惹き込まれてゆくので、やめることもできない。


こわれるから目をとじました 会うことも会わないこともとおいゆうぐれ  


髪洗うまなうらの闇むらむらと桜が沸きて沸きては崩るる  



この2首、ともに目を閉じているのである。

ゆうぐれも桜もすべてこころの中で見ているのである。

なぜそうしたのか、あるいはそうしないといけなかったのか、

あとがきにこう書いてあった。


「短歌を提示する一手段として朗読の活動を続けてゆくうちに、不思議なことに気付いた。それは、朗読に来てくださっている人はただ聞くだけではなく、どうも私を見たいらしいということだった。届けるためには全身で祈りにならなければならないと思っていた私は、いつのまにか短歌と声と身体が一つになって、私の世界を表現する媒体となっていたのである。」(あとがき―マナの日々から)


そうか、「全身で祈りになって」いる歌なのだ。悲しいとかせつないなどの形容詞で単純に分類できる感情ではなく、作者の世界そのものが祈りとなって伝わるのだ。それは私のなかにあった、体内の深いところにかくしていた、人に触れられたくない部分を刺激した。


素直に詠めばいい。この本はそう教えてくれたように思う。

美しい歌集だが、どこにも飾り気がない。

おそろしいほどストレートな歌もあるが、過剰ではない。

それは嘘がないからだと思う。

自分に嘘をついていないのだ。

そして作者そのものが詩であり、歌になっているのだと思う。

写真とのコラボも美しい。私はあまり写真と短歌のコラボレーションを好まないのだが、この歌集では祈りの一部として写真が息づいていると思った。



最後に好きな歌をいくつか


わたしにはなんにもなくてわたしにはこわいくらいになんにもなくて  

走り来る子供等も凶器萎え果てた我に激しく突き当たる時

たった一人の母を許せずたった一人の母を憎めず堕ちてゆく 闇

人去りし室には埃きららかに私に床に均しく降りぬ

三月後の己が生命を危ぶむ者は春を信じて秋に種播く

何ものも残さず死んでしまうことおそろし過ぎてぴかぴか笑う

うすべにがうれしいのです一心に蘂降り注ぐ道のやさしさ




『紙ピアノ』には愛があふれている。

伊津野重美は愛されたいと願い、自らの愛をあふれさせている。

彼女の朗読を聴きにいきたいと思った。


伊津野重美さんのサイトはこちら

http://homepage2.nifty.com/paperpiano/






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2006年5月 8日 (月)

面白いこといいますね

息子(1歳10か月)の保育園の連絡帳より抜粋。

「絵本を保育士に読んでもらった後、ひとりで見たくて、ひっぱったので「はいどうぞ」というと、「はいどう」と受け取りました。面白いこといいますね。」

・・・。

どこか面白いですか?

「はいどうも」ってわたしの口癖かもしれない。。

で、普通の1歳児は何て返すの?「ありがと」ですか、やっぱ??

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2006年5月 1日 (月)

溶連菌感染症

息子が発熱。あわてて病院へ。

溶連菌感染症でした。

まだ1歳なのに!(だから症状も軽いみたいだけど、おねえちゃんにうつるだろうなあ)

よーれんきん、はやってるのかな?

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